そのへんの交差点

スクランブルなほどには交錯しない、きっとありふれた、でもここにしかないお話

鬱の子どもが両親に向けてずっと言えなかったこと

 

これからわたしは魂を込めて文章を書きます。ところどころ語調など乱れることがあるかもしれませんが、多めに見てくだされば幸いです。

わたしは今年の11月に心療内科で「うつ状態」と診断されて、12月の中旬から九州の実家の方に帰ってきています。最寄りのコンビニまで車で10分かかるような辺鄙な田舎です。

『わたし』について簡単に説明すると、東京のとある国立大の4年生で、内定もすっかり決まってあとは卒業するだけ、という状態にありました。家族構成は父、母、9歳上の兄、4歳上の姉、わたしという5人家族です。両親は自営業で、裕福とは言えませんが貧乏でもない暮らし向きで、兄や姉がグレるなどの問題はありましたが、おそらくそれなりの一般家庭にもよく見られる程度の問題であったと思われます。『わたし』は小5の段階で塾通いを自ら所望し、私立の中学に進学、高校は県下の公立高校では一番のところに行って、大学は浪人こそしたもののそれなりの有名大学に入り、自分で言うのもなんですが、「手のかからない子」として育ってきました。

本題に戻ると、わたしは実家で両親とわたし3人で過ごす生活が、いまとてもしんどいのです。でもそれは決して、両親の扱いがひどいとか両親が嫌いだとかそういう話ではなくて、むしろ逆なんです。そのことを今日はここにしたためたいと思い筆をとりました。

はじめに断っておくと、わたしは医学的な専門知識があるわけでも、鬱に関して詳しいわけでもありません。なので、もしかするとわたしがこれから書くことは例外的なことなのかもしれません。けれど、『わたし』というn=1において、これから書かれることが「ほんとう」であることはたしかです。どうかそういう前提で読み進めてください。

わたしは自分が鬱っぽい性質を持っているということを、大学1年生の冬から自覚していました。そしてその「鬱の大波」は、2年の冬や4年の春などにもすでに襲いかかってきていました。けれどわたしはその度に、友人や当時の恋人(に準ずる人)に頼って話を聞いてもらったり一緒にいてもらったり、単位に支障がないように大学をうまく休んだり、新しい活動や新しい人間関係に目を向けたり、単純に大波が去ってくれることをじっと堪えたりして、なんとかそれを越えてきました。けれど11月に起こったとある出来事がきっかけでまた大波がやってきてしまって、いままでは結局「人」や「時間」に頼ってきたけれど、卒論を書かねばならない授業に出なければならない今の時期に悠長なことはしていられないと、「薬」に頼ることに決めて、自ら心療内科を受診しました。つまり、その程度の判断力はありました(今もあるつもりです)。けれど抗鬱剤というものはそう簡単にすぐ効くわけでもないので、わたしは卒論が書けない学校に行けないという状況になってしまって、これは卒業を延期するしかないという結論に至りました。

正直、故郷に帰ってきたのは両親にその報告をしなければならないと思ったからで、実家で長期療養をする気は最初からありませんでした。姉が説明を助けてくれた部分もあって鬱に関しての両親の理解はすこぶるはやく、「いくらでも休めばいい」と言ってもらえました。それについてはほんとうに感謝しています。

話はここからで、両親はどうやら実家の方で(あるいは実家近くの病院で)長期療養することを望んでいるようなのです。これには少し背景もあって、実は父と兄もかつて鬱病を患ったことがあって、ふたりとも入院が必要と判断されるほどの切迫したものでした。たしかに、たとえば「見ている人が常にいないといまにも自殺や異常行動を起こしてしまう」ような状態なら保護者は必要なのかもしれません。ですがわたしはそもそも「うつ状態」であって「鬱病」と即刻診断されるような状態ではありませんし、実際こうやってある程度冷静に文章を書けるほどの思考能力はあります。

厄介なのはむしろそこで、「思考できる」状態なんです。鬱の(少なくとも『わたし』の「うつ状態」の)なにがしんどいって、自意識とか自我とかそういうものに向き合わざるをえないループに陥ってしまうことなんです。わかりやすく言うと、頭でっかちに「こうこうこうだからこの世界に希望はない」「あれがこうであるならばわたしに生きている価値はない」という風な思考から抜け出せなくなることがしんどいんです。でも実家にいると、東京の友達には会えない飲みにも行けない、勝手にごはんは出てくる(それはもちろんとても有難いことではあるのだけれど)、買い物や散歩以外の外出はない、うちの場合は自分でコンビニにさえ行けないもちろんその他のたとえば東京でしんどいときに世話になった映画館や美術館や友達の主催するイベントにも行けない、Wi-Fiは通じないからYouTubeをあさることもできない、18時には夕食が終わるから夜がとてつもなく長い……つまり、ほとんど「思考すること」しかできない状況なんです。両親は「ゆっくり休んでいる」と思っているのかもしれませんが、ベッドで横になりながらわたしは無限に思考せざるをえないんです。鬱をこじらせる原因となったたくさんのものに、嫌というほど向き合わなければならないのです。

そしてこれはなかなか言いづらい話なのですが、「自我と向き合う」という作業において、「両親」という存在は大きな問題にならざるをえないファクターなんです。それがたとえとても慈愛に満ちていて“ただしい教育”をしてきた両親だったとしても、それとこれとは別問題なんです。わかりやすい例を言えば、「なんで別に自分が生んでくれって望んだわけじゃないのに両親はわたしを生んだんだろう」とか、「自殺したら両親に申し訳ないって感覚はいったいなんなんだろう」とか。

わたしの両親は、たしかに人間的に完璧なわけではないし、“ただしい教育”をできなかったのかもしれません。でも“ただしい教育”なんてものはないとわたしは思っていて、そんなものはただの幻想で、だからわたしはわたしの両親が“間違った教育”をしてきたとも思っていません。虐待を受けたわけでも放置されてきたわけでもなく、両親は両親なりにせいいっぱいわたしを育ててきてくれたと思います。それはいまだってそうです。両親は愛とやさしさをもってわたしの状態を受け容れてくれて、これから病院やら留年分の授業料やら余分にお金がかかることに文句も言わず、美味しいごはんを作ってくれて布団を干してくれて、そういう部分に関してはほんとうに感謝しています。

けれど、わたしはもうこれ以上実家で自分と向き合い続けるのは無理なんです。両親のやさしさに窒息しそうなんです。

——余談かもしれませんが、ここ数日は伊藤計劃の『ハーモニー』を読み直して日々を過ごしています。《やさしさの真綿で首を絞められるような世界》。

「あなたたちのやさしさがしんどいんです」なんて両親に言えるはずがないと、そんなことを言ってしまえば両親の方が気を病んでしまうと、わたしはこの数日「ほんとうのこと」を押し黙ってきました。けれど今朝起きた瞬間に今日という一日に絶望していることに気付いてしまって、むしろ悪化してるじゃないか、と悟ってしまったのです。わたしはもっぱら夜と昼下がりにしんどくなるタイプで、朝方しんどいというのはこれまでたいしてなかったのに。

今日もきっと、11時半に昼食に呼ばれて(起床即昼食なので正直食欲はない)、13時の母の買い物に付き合うことになって、15時ごろウォーキングか温泉に誘われて、18時には夕食があって、長い長い夜があって。ずいぶん前に禁煙した両親に隠れながら煙草を吸って。自室に腐るほど残っている過去たち——写真や日記、手紙に模試の結果まで——に埋もれて。東京にいるすきな人にどうしようもなく会いたくて。

朝っぱらから絶望の底にいて、けれどはたと、わたしのいま向かうべき目的は、わたしが元気になることではないか、と思い至ったのです。わたしはいま両親を傷つけないことを目的に据えていても仕方なくて、伝わってくれないだろうなんて諦めても仕方なくて、わたしはわたしがこのままゆっくり窒息死していくのを待つんじゃなくて、元気になりたいという気持ちはあるのだから、そういう環境を自分で作らなきゃいけない。東京ではたしかに常に人といられるわけではないからしんどいこともあるだろうけど、それを和らげるためにお薬があるわけで、幸いにも友達は多い方なので頼って迷惑をかければいいわけで、わたしはわたしが死なないためにそうしなきゃいけない。という結論に至ったわけです。

そんなわけで、1月2日に羽田に向かう航空券を勝手に購入しました。しばらく、それこそ「元気になるまでは」戻ってこない、予定。

「そんなのは親が納得しないよ」「お兄ちゃんもぜったい反対するよ」「あんたが親だったらどう思うよ?」「心配な親心をわかってあげて」「すぐ東京に戻ったら休学したいだけの仮病だったんじゃないの?って疑われるよ」「もう少しゆっくり考えてみなよ」なんて姉に言われたけれど、家族の納得や賛成に従っていたらいまのわたしは悪化していくだけだし、わたしが親だったら心配でも子どものしたいようにさせるし(だって親の人生じゃない、子どもの人生だもん。たとえばその結果子どもが自殺したとしても、ね。子どもの人生は子どもの人生、親にとても世話になっていて感謝していても、それは親の人生ではない)、仮病だなんて言うような親ならもはや親子の縁を切るし、もう十分すぎるくらい考えた。わたしはいまの自分の自我よりも、「これからの自分」に目を向けたい。そうしなきゃたぶん沼にはまっていくだけ。だから人に会いたいし、話したいし、研究なりバイトなりなにかしらの活動がしたいし、でも詰め込みすぎるといっぱいいっぱいになるから、適度に休んでひとりになって、うまく考えてでも器用に思考停止して、前に進みたい。そのためにはとにもかくにも東京に戻る必要があるのです、よ。(わぁ我ながらとても元気みたいなことを書いてる。すごい。)

もしも我が子が鬱になったご両親の方にわたしから伝えられることがあるとすれば、「鬱にもいろいろな形があって本人の思いがあって、あなた方が必要な場合もそうでない場合もあります。心配で目の届くところに置いておきたいかもしれませんが、それがむしろ子を苦しめている可能性もありうるということを、心の片隅に置いておいてください」、と。

それから先にも触れましたが、子どもの人生は子どもの人生です。少々ラディカルなことを言うと、子どもは望んで生まれてきたわけではなくあなた方の“勝手”で“生まされて”きたわけですから、最低限の世話と金銭的補助はその“勝手”に対する然るべき義務です。「いままで手塩にかけて育ててきた」なんてことは、あなたが子どもの人生に過干渉する理由にはなりません。「親より先に死ぬことは最大の親不孝」なんて言葉が暗に示していますが、子どもにとって親の存在はカルマとも言えるんです。(だって「親に申し訳ない」だとか言う理由で子どもの選択が制限されるなんて業じゃないですか。たとえそれが『自死』なんて選択肢であっても、ね。)

繰り返しますが、わたし自身は両親に感謝していますし、恩返しがしたいとも思っています。でも今回ばかりはわがままを通させてほしいと思います。わたしの生存のために。

そして注意書きのように付け加えますが、わたしは専門的な知識があるわけはないので、鬱の子どもに対する“ただしい”接し方というものはわかりません。困った場合はお医者さんやカウンセラーなどに相談なさってください。それは子どものためであり、かつあなたの人生のためでもあります。

——客観的にどうなんでしょう、「このくらいの文章が書けるならきみは元気だ」って思われるんでしょうか、それとも「ああこの子はたしかに鬱だな」って思われるんでしょうか。どちらでも構わないのですが、わたしがこの文章に魂と実存をかけた、ということだけはここに改めて記しておきます。

 

「親心」からくる慈愛がすれ違って、子どもを圧殺するなんてことが少しでもなくなりますように。

「親を傷つけたくない」なんて理由でどんどんひとりで傷ついていく子どもが、ただ自分を救うために一歩踏み出せますように。

そんなお節介な祈りを、最後に込めて。

 

 

追記:

友人が、『ちなみにうちでは「わたしに(恩を)返さんでええから、あんたの次に返しな」と(親から)言われてる』と言っていて、すてきな規範だなと思いました。子どもを持つ気はいまのところないけれど、あるとすれば、言ってあげたいな。