そのへんの交差点

スクランブルなほどには交錯しない、きっとありふれた、でもここにしかないお話

「もうダメだ」、逃げた、そのあとの話

 

昨年の過労死事件以来、「ほんとうにしんどいときは」『逃げろ』『逃げていいよ』『逃げるべき』、「そもそもほんとうにしんどいときってこういう状態のことだよ」ということをわかりやすくメッセージとした漫画などが、Twitterでよくバズっているのを目にするようになった。たとえばこれ。

 

「死ぬくらいなら辞めれば」ができない理由 

http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=manga&illust_id=59686181

 

 

「しんどいとき」『逃げる』ということがネガティブな意味だけで捉えられなくなったことは非常にいい傾向だと思う。中高の部活動など、『逃げるな』を教えられる機会は山ほどあるけれど、『逃げていい』を教えられる機会は現状の学校教育ではほぼないと言ってもいいだろう。

しかし「うつ」がある種の市民権を獲得しつつある現代、というかSNS時代では、『逃げ方を知らない』ことへの警鐘はどこそこで鳴らされているし、具体的な『逃げ方の教授』もちらほら見られるようになった。検索をかければ、専門家や経験者が『甘えじゃないよ、逃げていいよ』と語りかけてくれる記事は数多存在する。美化された根性論は少しずつダサいものと認識されるようにもなってきた。少しずつでもこれはきっと進歩だ。

 

 

かく言うわたしも、労働問題ではなく個人的な問題だけれど、昨年に「もうダメだ」と思った瞬間を経て、そして逃げた。具体的に言うと、ある日ある出来事をきっかけにいっぱいいっぱいになってしまって、ふらふら歩いているとふと大通りが目に入り、「死にたい」とか「死のう」とか考えるより先に、自分がその車道にとび込む画が見えた。ああもうダメだと悟ったわたしは、学校へ行くのをやめた。(行けなくなった、と言った方がただしいかもしれないけれど。)東京から遠く離れた鹿児島の実家に帰ってしばらく過ごし、頂いていた内定も書きかけの卒論も全部投げうって卒業を見送った。

逃げることそれ自体はこわくなかった。と言うより、逃げる以外に生き抜く方法がなかった。逃げる手段なんて選んでいる暇はなくて、当時のすきな人や姉や両親に迷惑を振りまきまくって逃げた。とにかく逃げた。なんだったら実家からも逃げた。

*このあたりの話の詳細はこっちの記事に。

鬱の子どもが両親に向けてずっと言えなかったこと - そのへんの交差点

 

 

 

時を経て3月、おそらくはた目には(一応自意識としても)、復調の方向に進んでいた。元内定先の人事部長のはからいで、求人記事などを書くライターアルバイトとして、週に3日働いている。友達と遊びに行ったりもする。引っ越しもした。彼氏ができたりもした。2回目だし今年はそれなりに就活してみようかな、なんてリクナビ2018に登録したりもした。今年の目標はスペインに行くこと、なんて言ってお金を貯めようとしたりしている。睡眠導入剤にはまだ少しお世話になっているけれど、安定剤はほとんど飲まなくなった。人は言う、「大丈夫そうでよかった」。わたしは言う、「うん、大丈夫だよ」。

 

ところが先週から今週にかけて、わたしはまた少しつまずいている。

 

理由なんてない。いや、たぶん分解すればたくさんあるのだろうけれど、ひとつひとつなんてきっと取るに足らないことだ。鬱はそういうものである。花粉症みたいに、ある日不意に容積を超えて溢れてしまう。

わたしは『逃げること』を知っている。だからいま逃げている。会社の上司に不調の旨を伝えると、わたしの状態に理解ある彼女たちは快く当日欠勤を受け入れてくれた。冷静に考えて当日欠勤なんて“社会人”として最も無責任な行為だ。出来過ぎな対応でむしろ心苦しい。

 

 

さて、問題はここからだ。「わたしはどうやってまた走り出そうか」。

 

 

鬱のどん底にいるときむしろ人は死ねない・死ににくい、という話を聞いたことがある。死ぬための気力体力さえないからだ。どん底にいるときははた目にもわかりやすいため、周りのサポートも入りやすい。病院に行けば処方された薬も一助になる。

実は一番危険なのは、少し復調してきた時期らしい。どん底のときに比べると気力体力があり、いくらか将来への希望なんてものもあり、周りも安心して手が離れはじめる。薬も減らしたりするかもしれない。こんな時期、たしかにベクトルは上向きかもしれないけれど、状態としてはどん底を抜けたというだけで、鬱の絶対量として見るとまだまだ危うい位置にいる。このときふっとなにかの均衡が崩れた瞬間に、自殺を遂行できてしまうそうだ。周りはきっと後で言うのだろう、「もう大丈夫だろうと思ってたのに」。それは本人にとってもそうだったのかもしれない。だからこそ、なのだ。

 

そのことが、正直いま少し実感を持ってわかる。「大丈夫だね」と言われるたび、「大丈夫だよ」と応えるたび、なにかが自分の中で軋む音がする。「大丈夫」というおまじないは、鬱っぽい人間にとっては諸刃の剣だ。「大丈夫」を言い聞かせることでつよくなれることもあれば、「大丈夫」にとらわれて窒息しそうになることもある。

死ぬつもりはないけれど、去年よりよっぽどいまの方が「死ねる気がする」。死なないけど、ね。

 

復調の最中で少しつまずいているいま、「ふっと死ねてしまう」ようないま、でもはた目には「元気そう」ないま、さて『わたしはどうやってまた走り出そうか』。

 

どん底に着けばあとは上がるだけだ。どんな動きだとしても動きさえすればそれは「また走り出した」ことになる。けれど微妙に浮上して不安定に上向きないま、一度止まってしまうと、また走り出すにはどん底のときよりむしろ馬力が必要なように思う。

 

現に、お恥ずかしい話だけれど、わたしは今日も仕事に行けなかった。今日こそ行くつもりだったのに。準備まで済ませてねむったのに。余裕で間に合う時間に起きたのに。仕事が嫌いなわけでは決してないのに。みんなやさしくしてくれるのに。なにより、月曜にはじめて休んだときのように、「ぜったいに無理だ」と思うほどつよい不調ではないのに。今日は行けそうだな行きうるな、と思ってるのに。それでもダメだった。

『甘え』という言葉がよぎる。鬱が甘えだなんて古くさいことは思ってもいないはずなのに、それでも、やっぱりいまの自分をそう捉えてしまう自分はいる。なんてったって、「いまわたしはどん底のときに比べるとずいぶん元気」だからだ。

 

 

馬力の出し方がわからない。どう駆動すればいいのかわからない。わたしはどうやって日常を回してたんだっけ。もっと社会に適合できる人間だったはずなんだけど。

 

 

 

 

つらつらと書いてみたけれど、正直なところ答えはわからない。

でも、たぶん、少なくとも自分で自分に「大丈夫」の呪いをかけるのはやめた方がいいのかもしれない。人に「大丈夫じゃない」姿を見せられない人間であればあるほど、自分くらいは自分に「お前まだ大丈夫じゃねーだろ」って言ってあげないと、気付いたときにはもう窒息寸前になってしまう。「お前まだ全然大丈夫じゃねーだろ、生き急ぐな、ゆっくりぼちぼち歩け」、せめて自分にそう言ってあげられるようにはなりたい。

 

馬力なんて出るべきときに勝手に出るって。だから、ね、ぼちぼちやろうな。